鶴川女子短期大学
学長 百瀬 和男 |
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ルルドでマリアに出会ったという少女ベルナデッタの葬られているヌベールの修道院を訪ねました。御聖堂内で写真を撮ったところ年配の男性2人に叱られました。祈りを終えた後、回廊で先ほどの男性に家族の写真撮影を依頼したところ、快く外の花壇でシャッターを押して下さいました。さらに家族の頭上に手を置いて祈って下さいましたので、司祭であることが分かり大変恐縮しました。厳格と寛容、これはキリストの徳性でもあります。
青年が誰もいない教会でポツンと座っていることが何度かあり、悩んでいる様子でしたので、声をかけました。後日、奥様から御礼を言われました。職場のことで行き詰まりがあって、私の対応で気持ちが明るくなったとのことでした。黙想の場は必要です。
カトリック教会の祈りは沈黙したまま心の中で唱えます。口で言い現すのは、全員で唱える共同祈願や主の祈りの時などです。
教会の近くの食堂で疲れ切った顔をして夕食をとっている青年がおりました。通りかかった私に気がついて外に出てきました。彼は就職か資格取得のための勉強かで悩んでいるとのことでした。私は道端で彼のために、声を出して祈りました。しばらくしてこの青年に会う機会がありましたが、顔色は良くなって教会にも来てくれました。プロテスタントの1対1の祈りは心を晴れやかにします。
個別的な問題や具体的な内容を声に出して祈ることをカトリックでは控える傾向にあります。しかし、私はこれからもプロテスタントに祈り方を活用してゆくつもりです。入院予定の職員のために手術の成功を祈ったところ、未信者の彼が「神様に頼ります。アーメン」と声を出して唱和してくれました。また彼の早い回復を職員たちと祈りました。病室で人づてに聞いた彼は元気付けられていたようです。1ヶ月程のち、「天国から戻ってきました。神様に感謝しています」と元気に退院の報告をして下さいました。
あるプロテスタント教会の早天祈祷会に出席したことがあります。30ほどの長椅子のあちらこちらに9人が座っており、私は最後部席におりました。祈りのクライマックスになると、雷の放電のようなものがパチッパチッと音を立てて人から人へと伝わってゆくのです。聖霊とは稲妻のようなものであることを目にしました。聖書には、聖霊とは目に見えない「舌」(使徒23)とされています。この舌は常に目の前にぶら下がるようにして存在し、弱さを自覚した者が悟って、神の愛を感じるのです。聖霊とは悟りを与える霊です。
瀬田の修道院での会議を終えて外国人の司祭と電車に乗り、渋谷で別れました。横断歩道を渡ってから背中に気を感じたので振り返ると、20mも向こうのバス停から手を振り続けているのです。神の愛のような暖かなものが私の心に流れ込み、嬉しさが込み上げてきました。司祭はキリストの代理者であり、聖職者です。
通勤途上の電車内でダビデ王の物語を1週間かけて読み終えたところ、日曜日の礼拝説教がダビデ王の物語の要約でした。それからの2ヶ月間、信仰復興について語り、祈り、歌い、読むことを4つの教会で体験しました。不思議なことでした。
私は鶴川女子短期大学、鶴川高等学校、東京商工経済専門学校、鶴川女子短期大学附属幼稚園、各卒業生、各在校生、明泉学園の各事業所、各職員に神の御計画があることを確信せざるを得ません。また、私は学園の全てに聖書がゆき渡るように配慮しております。詩編41編2節には『いかに幸いなことでしょう。弱いものに思いやりのある人は』と述べられています。聖書は人の心を見抜き、人の心を変え、人格を向上させます。
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明泉学園の教育は、人格の陶冶を目指し、品性の向上を念頭に置きます。そのためには常に祈らなければなりません。そして、どのような苦難の中に置かれても、父と子と聖霊の三位一体の神に信頼して従っていかなければなりません。








